私の花図鑑          花の里日記  2018.3.26   350


              日曜日  (晴れ)  滑落

 昨日と今日は暖かいので花の里と山の別荘地に行き、この冬の後始末をしていた。
花の里ではクロッカス、三角草(ミスミソウ)、スノードロップとクリスマスローズが咲いている。
クリスマスローズは数日前の寒波で少し花が下向きになっているがそれでも元気である。
クロッカスの花は寒さに強いのかピンと上向きに綺麗に咲いている。
また三角草は園芸品種なので花のピンク色が見事に出ている。

     クロッカス


      ミスミソウ


スノードロップは集団だったのだが動物に食べられたのか、はたまた人が盗んでいったのか
本数は少なくなったけどなんとか可愛く花弁を垂れた感じで咲いていた。
一時間程、通路の落ち葉の整理や花壇の白くなって枯れた花の茎等を取り除いていた。
まだ西の山に見えるスキー場は白い雪が沢山残っていて春スキーをのどかにしている。
ここに来る道では渓流でヤマメ釣りをしている人を数人見かけた。
また道傍の林の崖に檀香梅の黄色の花が見事に咲いていた。
いよいよ山に春が来たのである。



 少し動いたところで昼食を取り、のんびりと山の別荘地に出かけた。
ここでは昨日、道に落ちている大きな枯れ枝等を取り除いたのだが今日はブロワーを持参
したので焚火をしながら道の落ち葉を吹き飛ばしていた。
道沿いには蕗の薹(フキノトウ)が浅いグリーンの色であちこちに花を咲かせている。
柔らかそうなのを集めて採取した。
これで今年春一番の野草が食べられるのである。
山の別荘地は落葉樹林なので春は葉が無くて明るい。
それとここは東南向きなので太陽も良く下の地面に当たり気持ちが良い。
林の中では深山樒(ミヤマシキミ)の赤い実があったり、野草園では芹葉黄蓮(セリバオウレン)
がもう白い小さな花を密に咲かせていた。

    セリバオウレン


これからこの山は地面に咲く野草や木々の新芽のグリーンが楽しみではある。
野鳥はシジュウカラ等の集団がもう結構集まり飛び回っていた。
それと帰りに道を走り逃げて行く若熊をチラリ見た。
ここで熊を見るのは25年ぶりであろうか。
その時は斜面の土の中の蜂の巣を荒らしている熊を見たのだが。

 数日前には周防大島にある海傍の丘の別荘地を手入れに出かけていた。
行く道では農家の傍の梅や彼岸桜が咲いていて綺麗だったがもう終わりではある。
そのかわり島では赤い椿が賑やかに集団で今を盛りと花を咲かせている。
その日は主に丘の南の斜面の枯れた木を切断していた。
動くと少し汗ばむ位ではある。
曲がって生えている径が10cmの木を切ると木の上部に白い花を咲かせていた。
もったいなかったかなと花を良く見ると黒灰(クロバイ)であった。
2本生えており小さい曲がって生えたほうを切ったのであるがこの花は早く咲いていたのだ。
大きいほうはまだ蕾であった。
切ってから残念と思ったのだが後の祭り。
主に樫や櫨(ハゼ)の邪魔な木を切っていたのだがヒサカキだろうか樹高は低いのだが
赤い木肌が目立つ木が沢山枯れている。
気候変動が影響しているのだと思った。
ここは真砂土の風化した地表なので夏の暑い乾燥で枯れたのであろうと推測した。
この木はまるで固くてチェンソーでもなかなか切れない。
枯れた幹はなかなか手に負えないのである。
そうこうして動くと結構草臥れる。
南の斜面がきつい上部で枯れた樫の木を切っている時だった。
落下防止に枯れた木を数本横に水平に置いて足場にしているのだがその木が簡単に
ポキンと折れてしまったのだ。
私の注意がたらなかったのだが。
私はすっと下に落下した。
高さは1.5m位だったろうか。
そこから下は45度位の勾配で道まで落差は15mはあるだろう。

私は後ろ向きに回転しながら落下していった。
こんな事は生まれて初めての事であった。
その時間は4〜5秒位だったろうか。
私は行く先もまるで分らなくて眼が回っているだけであった。
まるでローリングストーン(転がる石)ではある。
それから下の道から5m位上部の枯れた枝等を横に並べて水平にした部分で私は止まり
ようやく気がついた。
顔や頭には小さな落ち葉の粉末や小さな真砂土が一杯ついていた。
口の中にも沢山小さな黒い粉末が入っていてツバと共に吐き出していた。
不思議な事に体のどこも痛くは無くて、少し顔に砂か枯れ枝で切れた小さな傷があっただけ。
回りを見まわすと手袋が5m位上の部分にあり、またチエンソーが少し西の先に落ちていた。
それからようやく丘の上の平坦な所まで這い上がりなんとか休めた。
回りはのんびりとして遠くには海や町が見えるだけ。
状況を良く考えてみると私の行動はまるでいいかげんだったと思った。
身を守る為に大きな上部の木にロープを巻き付けて安全ロープとして体を保護しないと
いけなかったのだ。
それと今までは落葉樹林を整備していてこんなに滑る広葉樹林は初めてであったのだ。
私は好きなように木を切っていた。
今まで長い年月をかけて育った木をばっさりと自分の思うように切っていた。
切った木たちの恨みが私を突き落としたのかもと思った。
私は生きた木を切る時は悪いがごめんと思いながら切っていたのだが。

 こんな事を書くのも近頃長野の八ヶ岳連峰で300m滑落して3人が死んだニュースを
聞いたからである。
彼らはお互い安全ベルトを繋いでつけていたのにである。
そんな中で300mを滑落する気持ちはどうなんだろうかと思った。
私は10mでも生きた心地はしなかったのだ。

 空を飛ぶような気持ちをした事は生まれて一回だけであり、それは高校生の時だった。
ようやくバイクの免許を貰い、おじさんにホンダカブのバイクを借りて近くの山道を走って
いた時であった。
このおじさんは父の弟でまるで気楽に私を子供扱いにして呉れていた。
それで山の急斜面を走り下っていた時であった。
そんな時代は林道が舗装してはなくて砂の表面であった。
ブレーキをかけたのだが道を曲がり切れず落ちて林の中に突っ込み、私は頭から空を
飛んだのである。
でも無傷で生還し、落ちたバイクを下の林から引き出しておじさんに返したのである。
おじさんは文句も言わずしょうがないなと言う顔でバイクを引き取って呉れた。
バイクの前部の風よけのビニールは少しひび割れていた。
このおじさんは自宅で電気モーターの修理作業をしていて従兄も手伝っていた。
こんな時代の話ではある。
従兄もおじさん夫婦ももう死んでいて過去の人ではある。

 私は生きている植物や生物等を見ていて、すべてが精一杯に頑張って厳しい環境
の中で輝いていると思うようになった。
庭の雑草一つ抜くのにも良く頑張って育ったなあと思うし、虫一つでも殺すのはなにか
可哀そうだと思ってしまう。
地球環境は絶えず変化して流動して行く。
そのなかで人は生物界の頂点として生きている。
それでも色々な災害や戦争や争いで人たちは無駄に死んでいく。
人はこの地球環境の中で最高の恵みを自然界から受けているという事を考えなおさ
ないといけないと思う。
そう考えると無駄に相手を傷つけるという事は出来なくなるのである。
今の人間世界は独裁者がずいぶんと増えてきている。
大国はほとんどと言ってそうである。
そんな人を選ぶ、その国の国民にも罪はあるのである。
政治をする人は関係者の皆と最善を尽くすにはどうしたら良いかをしっかり吟味
しなくてはならない。
そうでなければ今の人間界はどんどんと堕落して行くであろうと思うのだ。
人はこの変化している自然界から最高の恵みを受けているのだから。

 ついでにボブ ディランの歌ったLike a rolling stoneを聞いてみて!
私の話とは関係はないけど。
最近ドライブでジョーン バエズのフォークソングのレコードを良く聞いているがなかなか
素晴らしくて若い頃の正義に満ちた夢を思い出してくれる。
この話はまた。

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