私の花図鑑    花の里日記   2003.10.3 45
           金曜日  船上山


 あれは9月の始めでまだ暑い時期であった。思いたち鳥取県・大山(だいせん)の高原へ出かけた。高原は標高900M位あり涼風が吹いて爽やかで、一時暑さを忘れさせてくれる。付近を散策して象山に登った。西には大山の削れ欠けた東面と尖った鳥ケ山(からすがせん)が間近に見える。北には日本海があり東には蒜山の山々から湧き上がった雲が海側にあふれ落ちていた。登山道の周りには松虫草の青い花や秋草がたくさん咲いていた。南には鏡が成の高原と雲海が見える。
 以前私は何回か大山には来ていた。しかし私の記憶の地図には空白の地があった。そこは大山の北部にある船上山であった。写真では見ていたのではあるが、なぜか引きつけられる気持ちがするのである。帰路遠回りしてわざわざ立ち寄ってみた。車は小さな山や峠、谷を回り下りしながら淋しい山道をだらだらと走って行く。いくつかの峠を越えたところでその山はとつぜん全貌を表した。それはまるで緑の海に浮かんでいる巨大な舟、ノアの箱舟といった山であった。なぜ私を呼んでいたのか山を見上げてわかったような気がした。その昔鎌倉幕府を滅ぼし南北朝の動乱の幕を上げた主役の後醍醐天皇が、流された隠岐の島より逃げ出して、この地の土豪・名和長年とともに立ちあがった場所である。それは1333年2月のころであった。付近は大山の北麓の山深い森で、当時は人間が立ち入るような場所ではない気がした。
 暑い日中であったが伐採されて草地となった東斜面の登山道に取り付いた。汗を流しあえぎながらようやく岩地の森に入った。暗い原生林を抜けると開けた山頂になり、そこには船上山行宮の碑が立っているのみである。淋しい山に淋しい碑ではある。尾根をすこし奥に登ると山伏の僧坊跡が20ばかりある。そこは暗い自然林で、つわものどもが夢の跡といった様子に木々の荒々しい根がのたうち雑草に覆われていた。そこはまるで長い年月が死んで横たわっているようでもあった。
 私の脳裏には山伏や僧たちがこの異様な岩山や深い滝や谷川を巡りあるいて修行している姿が浮かびあがってきていた。少し進むと奥の院入り口がある。

 
栃の実の 落ちる音する 登山道  山帰来

       栃の木を見る 散歩道 大山 位置図


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